クリスマスが近づくと、街中にはキラキラ光るクリスマスツリーがいっぱい!
クリスマスツリーってキレイでステキですよね。でも、イエス・キリストの誕生日にどうして木を飾るのかしら?
今回は、そんな疑問に答えます。
クリスマス当日まで触ってはいけないクリスマスツリー
クリスマスツリーが初めて文献に現れたのは1600年代。フランスのアルザス地方の風習を記した本の中に登場するんですよ。
飾りやリンゴなどがつけられたもみの木――。決して触っちゃダメなんですって!
クリスマス当日になると、ようやくもみの木に触ることが許されます。子どもたちは、木を揺さぶって、落ちてくるものを拾い集めて楽しみました。
これって、アダムとイヴがヘビにそそのかされて「知恵の実」を食べた『旧約聖書』の話に似ていませんか?
そんな連想から、ドイツなどでは、クリスマスツリーを「楽園の木」「誘惑の木」って呼んでいた時期もあるそうです。
タブーを犯す快感っていうのかしら?そういう喜びがあったからか、クリスマスツリーはフランスやドイツから行商人を通じてヨーロッパ各地に伝わって、さらには海を越えてアメリカ大陸に!
クリスマスツリーからアダムとイヴの物語と結びつけると、何となくキリスト教的な習慣のような気がしますよね。でも、違うんです。
豊穣の願いを込めて木や枝を飾る習慣は古代からあった
木や枝を飾る習慣には、キリスト教とは全く別の起源があるんです。
昔々のドイツ人は、新年にもみの木の枝を家にさしていました。この枝は「マイエ」と呼ばれていて、古代ローマの女神マイアが語源らしいです。
ずいぶん古い女神さまの登場ですね!
マイアは春を司る豊穣の神で、5月1日に供物が捧げられました。これが後のメーデーになったわけですから、クリスマスツリーとメーデーは起源が同じなんです。実際、5月にもマイエがあったんですから。
マイエに限らず、豊穣の願いを込めて木や枝を飾る習慣は、ドイツ以外の国々でもたくさん見られます。
古代ギリシアや古代インドなどにも同様の習慣があったことが記録されています。ということは、クリスマスツリーのもとになっている“豊穣の木”は、人類全体が共通して行ってきたイベントだったと考えられますね。
実は、この習慣、敬虔なキリスト教徒たちによって、6世紀ごろから何度も禁止されてきたっていいます。でも、人々は楽しいイベントをやめようとしませんでした。
だから、キリスト教の方が妥協して、クリスマスツリーという形で取り込んじゃったんですね。
もみの木の“不滅”のイメージとキレイな三角形が大人気
クリスマスツリーがもみの木なのはなぜ?
もみの木は、マツ科モミ属の常緑樹です。真冬でも緑色の葉をつけているもみの木は、“不滅”のイメージにぴったり!
夏と変わらない姿で生き生きと生い茂っているもみの木を見て、昔の人たちはみなぎる生命力を感じたんでしょう。
それに、すっと天に伸びていくキレイな三角形!
敬虔なキリスト教徒はこの形を見て、「三位一体を表している!」な~んて言っちゃうくらい(笑)
クリスマスツリーにもともと吊るされていたのは、木の実やリンゴ、クッキーなどだったと考えられます。飾りは、ゆすって落として食べるものだったからです。
第一次世界大戦後から、食べられない飾り物をつけるのが一般的になってきて、現代では電球がキラキラ輝くまでになっちゃいました!
クリスマスツリーは、大きなクリスマスプレゼントを置く場所にもなっています。子どもたちはクリスマスの朝、クリスマスツリーの下を見るのが楽しみなはずです。

クリスマスツリーに満ちるスピリチュアルなエネルギー
クリスマスまでの短い期間、クリスマスツリーの光で街中が明るくなります。
いかにも現代的なクリスマスツリーですが、実は歴史が長いんですよ。
豊穣を願った昔の人々の思いを受け継いでいるクリスマスツリーには、スピリチュアルなエネルギーが満ちています。