ギリシャの首都アテネは海外ツアーでも大人気の観光地です。
アテネという地名は、知恵と戦争の女神であるアテナに由来します。
古代の強力な都市国家だったアテナイは、芸術や学問、哲学などが盛んで、「民主主義発祥の地」としても知られていますね。
そんな歴史を目の当たりにすることのできるパルテノン神殿、アクロポリス、国立考古学博物館、デュオニソス劇場……。一生に一度は訪れたい場所ばかり!
そんなアテネでちょっぴり怖い「呪い」の証拠が発見されました。
ニワトリをバラバラにして呪いをかける
2006年に発掘されたのは、2,300年前の陶器の瓶――。
中には、バラバラにされたニワトリの骨が詰められていたんですって!
鶏肉を使って料理を作ろうってわけじゃなく、「呪い」を発動するための装置だったみたいです。
ニワトリはいつの時代でも、呪いをかけるのに使われちゃうんですよね。気の毒……。

瓶は、古代の職人が使用していたアゴラ(公共空間として利用されていた広場)から発見されました。そこにある建物の床の下から、コインと一緒に瓶が出てきたんですよ。
米イェール大学の古典文学教授、ジェシカ・ラモント氏は、「エスペリア」誌に掲載された記事の中で、「瓶にはバラバラになった若鳥の頭と足が入っていた」と報告しました。
ラモント教授は、アテナイで信じられていた、55人を麻痺させて死に至らしめる呪いの痕跡である可能性が高いと考えています。この発見によって、当時の都市国家で、人々がどのように「魔術」を使っていたかが明らかにかるかもしれないそうです。
「(瓶の)外側全体はもともと文字で覆われていた。これはかつて55人以上の名前が刻まれていたが、今ではそれらの数十名分が散らばっていて、浮き上がった文字やかすかな針の彫り跡として残っているだけだ」
ラモント教授はこのように述べた上で、ギリシャ語の文章に「私たちは縛る」という意味があると指摘しています。バラバラのニワトリが呪いの役割を果たしたっぽいんですよ。
ニワトリが生後7か月以内に殺されたそうです。呪いをかけた人たちは、身を守ることができなかったニワトリの不幸を、瓶に名前が刻まれている人たちにも与えたかったんでしょうね。
ラモント教授は「呪いをかけた人たちが、ニワトリの頭と足をねじって突き刺すことで、犠牲者の同じ身体部位を使えなくしようとした」ことを示しめしている、と指摘します。
それから、長い鉄の釘がニワトリの体に突き刺さっていたんですって!
このような釘は、古代の呪いによく使われていたものです。
訴訟や戦争が理由で呪いがかけられた?
瓶に書かれた文字の筆跡から、少なくとも2人の人が呪いに関わったとみられています。
ラモント教授は、強力な呪いを唱える方法をよく知っている人たちによって作られたと考え、呪いは訴訟に関連している可能性があると言います。
呪いをかけた人たちは、敵対する相手の証人や家族、支持者をとにかく呪ったみたいです。当時のアテネでは訴訟が頻繁に起こっていたんですよ。
呪いが行われた理由として考えられるのは訴訟だけではありません。
今回発見された呪いが、約2,300年前のアテネの戦争に関連している可能性があります。
アレクサンドロス大王が紀元前323年に没し、大王の帝国は崩壊しました。その後、将軍と役人は権力を手にするために戦いました。歴史の記録によると、当時はいくつかの派閥がアテネの支配をめぐって戦っていたそうです。
敵国の人たちに呪いをかけようとしたってことですね。
井戸から呪いの板が30枚も発見される
アテネでは2020年2月にも、ドイツ考古学研究所の考古学者チームが、2,500年前に掘られた井戸から、保存状態の良い鉛の呪いの板を30枚も発見しました。
チームは、紀元前1世紀に建設された浴場に、どうやって水を供給していたのかを調査していたんですが、そのとき偶然、呪いの板を見つけちゃったんですよね。
この地域では、古代の墓が6,000以上の古代の墓もこの地域で発見されました。どうやら古代都市の主要な埋葬地だったようです。
研究者たちは、アテナイ人は井戸や墓の近くに呪いが刻まれた板を置いて、死者の魂がその板を冥界の神々に運んで呪いを発動すると信じていた、と説明しています。
呪いは、個人的な敵対者だけでなく、訴訟の相手や競技の相手選手、ライバルの商人を不幸にするために行われたんですって。
人間が住む場所には、いつの時代でも呪いがあります。古代アテネも例外じゃありません。
ギリシャ旅行でアテネを訪れる際は、パルテノン神殿などの有名な観光スポットだけでなく、呪いが行われた場所に足を運んでみてはどうでしょうか?
古代の呪いを肌で感じてちょっぴりゾッとするのも、良い旅の思い出になるかもしれませんよ。